まだまだけつがあおいごぼはん

沖縄戦没者の遺族らで組織する「北海道沖縄会」が1965年に建立した「沖縄戦英霊記念の碑」の移設問題をめぐる関係者の対立が激しさを増している。

第2次世界大戦で日米最後の大規模戦闘となった沖縄戦は、20万人以上の戦死者を出した。このうち道内出身の戦没者は、沖縄県民(約12万人)に次ぐ約1万5000人に上った。

沖縄会(黒田練介会長)は沖縄戦帰還者や遺族、道内在住の沖縄出身者が64年に設立した団体。翌年9月、東本願寺の土地と札幌市の市有地を無償で借り、藻岩山ロープウェイの山麓駅すぐそばに碑を建てた。

沖縄会は、碑の維持管理のほか、毎年6月23日の慰霊の日は、神式の慰霊祭と仏式の追悼法要を交互に行っている。戦後65年、設立から46年を経て、高齢化が進み、かつて8000人以上を数えた会員は700人に減少。今年4月の定期総会では、来年の慰霊の日までに碑を取り壊し、札幌護国神社の境内に新設することを決めた。

関係者の対立は、この移設計画が発端。碑の取り壊しと神社への移設を巡って一部の遺族から反対の声が上がっており、移設の反対運動も展開されている。

沖縄会設立から88年まで副会長を務めた西川喜紹さん(73)は、碑の保存を訴えている。

「碑を造る際、ほかの遺族会の慰霊碑と同様に札幌護国神社に建てる話もあった。しかし、特定の宗教に関係なく、誰でも気軽に立ち寄って戦没者に手を合わせられる施設にしようとの思いから、碑の名前は『慰霊』でなく、『記念』として建てた経緯がある。遺族にさまざま宗教を信仰する人がおり、碑を特定の宗教施設にしてはならない。碑の一部には沖縄のトラバーチンの石を使用した。戦没者の遺骨に代わるものとして、沖縄戦で多くの戦死者が出た糸満市の摩文仁海岸で遺族が拾ってきた小石も埋め込んだ。碑の耐久性にも問題はなく、遺族の思いが詰まった碑を簡単に瓦礫にしてほしくない」

西川さんは7月上旬、沖縄会の会員に対し、碑を取り壊すことへの賛否を問うアンケートを送付した。返信があった約200人のうち、約150人が取り壊しに「反対」と回答したという。8月中旬には碑の取り壊しに反対する会員とともに「沖縄戦英霊記念の碑を守る会」を結成、沖縄会に対し、臨時総会を開いて再度、会員に取り壊しの是非を問うことを文書で申し入れた。

今年3月まで約6年間、沖縄会の事務局長を務めた田中光雄さん(73)は、碑の取り壊しが決まった経緯を次のように語る。

「碑を移設する話は私が事務局長になった時からあった。初めは砂川の訴訟(※)や碑の耐久性を心配する人から出てきた話だった。だが、札幌市に相談すると、碑は宗教施設ではないため、立ち退きの必要はないことを説明された。耐久性に関しても業者に下見をしてもらったところ、何の問題ないことがわかった。碑の維持管理も、掃除と草刈りをシルバー人材センターに依頼するだけで済む。これに損害保険の費用を加えても、昨年までは会員の年会費でまかなうことができた。沖縄会には将来的に碑を維持していくための積立金が約3500万円ある。いずれ会は立ち行かなくなることも考えられるため、積立金を活用してどこかに永代供養を頼むことが今後の重要課題だった」

「いずれにしても、すぐに札幌護国神社に移設するという話ではなかった。私は黒田会長と一緒に昨年11月、護国神社に移設できるかどうかを聞きに行ったが、境内に建てる場所がないという理由で断られた。ところが、いつの間にか神社の了承が得られており、定期総会では私以外の全員が碑の移設に賛成し、そのまま承認された」

沖縄会から移設の相談を受けた札幌市観光企画課は、「昨年秋頃、沖縄会から藻岩山再整備の工事についての問い合わせがあった。碑が建っている場所は藻岩山の再整備には関係ないので、そのままで構わないことを説明した。碑は宗教施設でないので、市有地を返還する必要もないと答えた。沖縄会からは、会員の高齢化が進み、参拝しにくいので移設する方針だという話を聞いた。だが、再整備後は(市電の)電停前から無料シャトルバスが運行されて便利になるので、高齢者や地理的な問題があっても、このままでいいのではないかという話をした。再整備後は藻岩山への観光客増加が見込まれるため、戦没者を偲ぶ碑があることは、市の観光にとっても良いことだと考えている」と説明する。

市有地を管理する札幌市みどりの管理課は、「沖縄会からは昨年来、『会員の高齢化によって碑を管理ができなくなりつつあるので、市に寄付したい』という申し入れが数回あった。しかし、あの碑だけを特別に維持管理をすることはできないので断った。今年5月に黒田会長が訪れ、札幌護国神社に碑を移すという話を伺った。市は出ていけとも残ってくれともいう立場にないので、沖縄会の意向に沿って、今後、市と沖縄会が結んでいる土地無償貸付契約を解除する事務手続きを進めていくことになる。沖縄会は雪解け後にも、碑の解体工事を発注するようだ」と話す。

沖縄会の黒田会長に電話で取材を申し込むと、「碑の移設は遺族が高齢化し、維持管理が大変だという背景がある。札幌護国神社であれば、戦没者をずっと祀ってくれる」と話し、一度は会って取材を受けることを承諾した。

ところが、移設費用や一部の遺族が反対していることなどを記載した質問事項を送付すると、「碑を札幌護国神社に移すことは会員の総意。プライベートな会なので詳しいことにお答えする必要はない」と、一転して取材を拒んだ。

札幌護国神社にも取材を申し込んだが、反橋進宮司は「神社の境内に新しく碑をつくる話はあるが、建てるのは北海道沖縄会であり、神社は当事者ではない。詳しい話はわからないし、ほかのマスコミにも何も答えていないので1社だけに情報提供することはできない」と一方的に電話を切った。

碑の移設に反対し、総会前の4月に沖縄会を退会した元役員は「黒田会長が移設を急いだのは、札幌市に維持管理を断られたことが大きかったようだ。碑の耐久性に問題がないことは分かっていたので、私は黒田会長に『碑の移設は大事なことだから、定期総会の案内に札幌市との交渉結果など、これまでの経緯を詳細に記載したものを同封すべきだ』と進言したが却下された。総会に出席した人の話によると出席者は約40人。委任状は400通以上あったそうだ。案内はがきには『記念碑移設の件』とだけしか記載されていなかったので、委任状を出した人のほとんどは、碑が取り壊されることを正確に認識できなかったのではないか。総会でも黒田会長は、碑を神社に移す必要性を話しただけで、現状維持を選択する余地はなかったようだ」と明かす。

戦後65年が過ぎ、戦没者遺族は総じて高齢化している。道内ではここ数年で、高齢化による会員の減少を理由に2つの遺族会が解散した。こうした事情から沖縄会が将来に対する碑の維持管理を心配することは当然だ。

しかし、沖縄会の活動の中心となる「記念の碑」をめぐる対立には不可解な印象が拭えない。戦没者を追悼する遺族らにとって、1人でも多くの参拝者が追悼できる環境を整えることは責務のはずなのだが・・・。(文、写真・糸田)

(※)砂川政教分離訴訟 砂川市が市内2つの神社(富平神社・空知太神社)に市有地を無償で提供していることの是非が争われている裁判。今年1月20日、最高裁が空知太神社に市有地を無償提供する行為は政教分離に反しているとの違憲判断(富平神社は合憲)を下し、審理を札幌高裁に差し戻した。