まだまだけつがあおいごぼはん

仙台市若林区井土地区/心のよりどころ守る

津波で全壊した海楽寺。門徒14人も犠牲となった=仙台市若林区井土

仙台市の沿岸部にある若林区井土地区。昔からの農家が多い100世帯余りの集落は、東日本大震災の津波で38人の住民を失った。
集落の中心に位置し、住民の心のよりどころとなってきたのが、300年余り続く浄土真宗大谷派の海楽寺。住職の大友征夫さん(69)も津波の犠牲となった。

<行政経験を生かす>
「厳しく、そして筋をしっかりと通す父でした」。7月に第11代住職となった長男雄一郎さん(42)が振り返る。
征夫さんは東京の大学を卒業し、仙台市に入庁。寺の仕事をこなしながら、道路、税務畑を歩んだ。仕事柄、法律や実務関係の本を読むのが好きで、倉庫から1000冊以上の本が出てきた。
退職後は、妻宮子さん(66)と仏像巡りや野球観戦を楽しんだ。門徒は70戸弱と多くはない。寺の運営は厳しかったが、寄付は求めず、地域の絆を大事にしていた。
2008年から3年間、大谷派仙台教区仙台組(そ)の副組長を務めた。東漸寺(若林区)住職の那波昭西組長は「規約を見直す際、行政出身の手腕を発揮して綿密な作業をしてくれた。本当に頼もしい人を失った」と悼む。
6月26日。仙台市の大谷派東北別院であった征夫さんと門徒14人の合同葬儀は、雄一郎さんが導師を務め上げた。
「父は生前、功績を残す人間より、寺の歴史を次につなぐ存在になりたいと話していた。私も壊れた地域の輪の要として、ご門徒とともに寺の歴史をつないでいきたい」

<誰からも好かれた>
海楽寺の門徒菊地完さん(65)の三男で農業法人従業員由樹さんは、29歳という若さで命を落とした。地震発生の直後、近所の病人の世話などをして回るうち、津波にのまれたという。
母みきこさん(63)は「一言で言うとサッカーばか。昔からひょうきんでね、大学卒業後もぷらぷらして手は掛かったけれど、優しくて誰からも好かれた」と話す。
仙台向山高(太白区)でサッカー部に所属し、大学卒業後も地元のチームでキーパーとしてゴールを守った。兄が経営する農業法人で働きながら、六郷小スポーツ少年団のコーチも引き受けた。
死後、70人余りの教え子が若林区今泉の借家で暮らす菊地さん一家を訪ね、涙を流した。高校、大学の友人らは、由樹さんの写真を山ほど持ち寄ってくれた。
お盆の8月13日、高校の同級生が追悼サッカー試合を開いた。みきこさんは、試合が終わるまで見ていられなかった。
「気持ちはうれしい。でも、津波さえなかったら由樹がここで試合していたんだと思うとつらくて…」。20代、これからの人生。考えるほど無念さがこみ上げる。(亀山貴裕)


2011年11月07日月曜日